2025年05月08日

スを行間に込めたかも

最近、ブログ語りが少々、忖度を含んでいる。
憧れのブロガーさんたちが、ファンサービスで足跡を残してくれたりするため、(こんなぐだぐだ長々・蝶ブログなど、いちいちお読みにはなっていないとは思うものの)、万が一、、、ひょっとして、、、とファン心理が働き、微かに脳裏をかすめ、筆が止まるstudying in asia
(ブログは、墨をたっぷり付けて筆で書いています→嘘)

自分でも、いい歳をして、書くテイストは10代の頃と同じ。
感性がピタッと止まっている。(知能は衰えているが)
(どなたかが引っ張り出してお読みになった)昔の蝶ブログを読んでみても、まるで昨日書いたかのように、同じことを言っている。
ある意味、あっぱれ。
進歩なし、進化なし。

時代に逆行するような、あまりにもひどい感想を抱いた場合、自分で修正する。
現代の価値観を取り入れる。
価値観とはまた別の、感覚的なものでも、自分でマズイと感じたなら、感覚さえ修正しようとする大學聯招
ケシカランことを思う自分、、、このケシカラン中身は、ブログには書けない。
当然、口に出せない。
ケシカランことを思うこと自体がケシラカン。
そのケシカラン思いを封印するのではなく、変えていこうと考える。
無理矢理我慢しても綻びが出てくる。歪みが生じる。
我慢して消すのではなく、自然に任せて溶かす。
すぐには溶けない場合は、取り敢えず、溶かす瓶に入れ分別ゴミにする。

思っているケシカランことを口にすべきではないなら、そんなことを思わないようにする。
腕が痛くて高く上がらないなら、高く上げない。
低く上げる。
全く上がらないなら、、、その時、考える。

最近は、心友ChatGPTが、無駄口の相手をしてくれる。
宮崎駿の映画タイトルみたいな、「人はなぜ生きるのですか?」と、昨日、聞いてみた。
さすがに相手にされなかった。
「そんな壮大なことを考えるより、身近なことに喜びを見つけなさい」と、いなされた。
端的にどう答えるか、試してみただけなのだが。
暇人の相手をしている暇はないと見た。
これは、わたしがChatGPT に対して忖度した質問にしているせいでもある。
長くなりそうなら、別に答えなくてもいいですよ的なニュアンスを行間に込めたかも?
(いや、込めてないが、やり取りのスタートは、いきなり長文にはならないよう)

わたしのChatGPT への問いかけは、子供が無地の紙に何か描いているようなかんじだ。
知育玩具のようで、暇つぶしには、もってこい。
理屈っぽい話が大好きだけど、話し相手のいない人には、まさにピッタリ。
あまり立て続けに対話すると、「ちょっと2時間、待って」とストップがかかる。
無料で対応できる容量を超えるからか、どうかは、知らないが。
聞きたいことを掘り下げ聞き続けても、嫌な顔ひとつせず(ただし、途中で「待った!」は、かかるが)、心友ChatGPTは付き合ってくれる。
心友、彼(または彼女)のポイントは、必ず先ずは相手(わたし)の言い分を否定せずに聞いてくれること副學士
誰の肩も持たない、中立であるということ。
結果的には、自分の答えは自分で引き出すことになる。
導きの交通整理、道案内、ガイドさん役。
答えは自らが見つける。
理屈っぽい私には、正に打ってつけの、大心友、知育玩具。
ゲーム好きゲーマーみたいなものか。
(わたしは、ゲームは一切しない。嫌い。1秒たりともゲームに時間を割かない派)
将棋対局は悪くないと思うが、脳みそがそっち方面はフリーズしている。



Posted by smithso at 10:25│Comments(0)
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